【黒板の歴史】いつ作られた?世界から日本へ広まった黒板の物語

教室に入ると、当たり前のようにそこにある「黒板」。
独特の深緑色やチョークの音に、懐かしさを覚える方も多いのではないでしょうか。
しかし、改めて考えてみると不思議なことがたくさんあります。
たとえば、緑色なのになぜ「黒板」と呼ぶのか、その理由をご存じでしょうか?
実はそこには、意外と知られていない歴史が隠されているのです。
実はそのルーツを辿ると、フランス革命期の意外な発明や、日本の職人たちが生み出した独自の技術に行き着きます。
この記事では、黒板がどのようにして生まれ、世界を旅して日本の教室に定着したのか、その知られざる歴史と進化の物語を紐解きます。
デジタル化が進む現代でも、なぜ黒板はなくならないのか。
その理由を知れば、見慣れた教室の風景が、少しだけ特別に感じられるかもしれません。
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目次
黒板の歴史|世界から日本への普及

私たちの教室に当たり前にある黒板ですが、そのルーツは意外な場所にありました。
ここでは、黒板がどのようにして生まれ、世界、そして日本へと広まっていったのか、その歴史的な背景を紐解いていきます。
黒板の起源はフランス革命期の理工科学校
黒板のような道具が文献に初めて登場するのは、17世紀の教育者コメニウスによる『世界図絵』だと言われています。
しかし、現在私たちが目にするような形態で実際に活用され始めたのは、もう少し時代が進んでからのことです。
18世紀末の1794年、フランスのエコール・ポリテクニク(理工科学校)にて、モンジュ教授が画法幾何学の講義で使用したのが始まりとされています。
これは、フランス革命という激動の時代において、多くの学生を短期間で効率的に教育する必要があったことから生まれた、いわば革命の副産物でした。
必要に迫られた発明が、現代の教育スタイルの礎となったのです。
アメリカへの伝来と初等教育への普及
フランスで生まれたこの画期的な教育ツールは、やがて大西洋を渡りアメリカへと伝わります。
きっかけは1817年、アメリカ陸軍士官学校(ウェスト・ポイント)が、フランスのエコール・ポリテクニクをモデルとして教育改革を行ったことでした。
この時、モンジュ教授の弟子であるクローゼーによって、黒板と白墨(チョーク)の使用が開始されます。
当初は高等教育や軍事教育の場で使われていましたが、次第に一般の教育現場へも浸透していきました。
アメリカの初等学校において黒板が広く普及し始めたのは、導入から半世紀ほど経った1860年代からだと言われています。
黒板が日本に普及したのは明治初期
日本に黒板が伝来したのは、文明開化の音がする明治時代初期のことです。
1872年(明治5年)、大学南校(後の東京大学)や師範学校に招かれたアメリカ人教師スコットによって持ち込まれたのが始まりとされています。
導入当初、英語の「ブラックボード」を直訳して「黒板」という言葉が生まれましたが、当時はまだ「塗板(ぬりばん)」という呼び方が主流でした。
「黒板」という名称が一般的に定着したのは、明治10年代に入ってからと言われています。
また、当初は授業での板書だけでなく、連絡事項を記入して知らせる「掲示板」のような役割としても使われていたようです。
黒板の歴史|素材や色の変化
黒板は、その名前の通り常に「黒い板」だったわけではありません。
時代のニーズや技術の進歩とともに、素材や色は大きく変化してきました。
ここでは、その進化の過程を見ていきましょう。
欧米の「石板」と日本独自の「塗板」
欧米の学校では、屋根材にも使われる天然の石板(スレート)が初期の黒板として利用されていました。
耐久性が高く、書き心地も良い素材でしたが、非常に重く高価であるという欠点がありました。
一方、明治時代の日本にとって、重い石板を輸入することは容易ではありませんでした。
そのため、日本ではスレート黒板はあまり普及せず、代わりに木の板に墨汁や柿渋を塗った「塗板」が初期から作られました。
欧米では石板が主流でしたが、日本では手に入りやすい木材を活用した独自の黒板作りが始まったのです。
職人技「研ぎ出し黒板」と金属製への進化
日本の職人たちは、木製黒板の書き心地を石板に近づけるため、驚くべき技術を生み出しました。
それが、塗料に石の粉などを混ぜて表面を研ぎ出す「研ぎ出し黒板」です。
この工夫により、木製でありながら天然石に匹敵する滑らかな書き味を実現しました。
単なる安価な代用品ではなく、日本の技術力が生んだ高品質な黒板だったのです。
その後、昭和30年代に入ると、より高い耐久性やマグネットの使用が求められるようになります。
そこで登場したのが、鋼板に焼付け塗装を施したスチール黒板や、ガラス質を焼き付けた耐久性の高いホーロー黒板です。
これらは現在の主流となり、教室の定番として定着しました。
緑色黒板への変化
現在の黒板が深緑色をしているのには、二つの大きな理由があります。
一つは、かつての黒色は光を反射しやすく、生徒の目に負担をかけていたため、より目に優しい色が求められたことです。
もう一つの理由は、塗料の技術革新です。
戦後、合成樹脂を主成分とする新しい塗料が登場したことで、それまで難しかった黒以外の色の製造が可能になりました。
この技術的進歩により、目に優しく落ち着いた緑色の黒板が実現し、全国の教室へと広まっていったのです。
黒板屋さんの意外なルーツ

私たちが普段何気なく目にしている黒板ですが、それを作るメーカーのルーツが多種多様であることをご存じでしょうか。
実は、最初から「黒板専門」として始まった会社ばかりではありません。
その背景には、日本が誇る伝統的な職人技術や、教育への熱い想いが隠されているのです。
ここでは、黒板屋さんの意外な前職や創業のきっかけについて、いくつかのパターンをご紹介します。
伝統工芸の「塗り」技術からの転身
黒板メーカーのルーツとして最も多いのが、漆(うるし)職人や塗装業者からの転身です。
かつてお盆や漆器、鏡台などの塗装を手掛けていた職人たちが、その高度な技術を黒板作りへと応用しました。
特に黒板の表面を滑らかに仕上げる「研ぎ出し塗装」には、彼らの経験が不可欠だったのです。
たとえば、徳島県の特産である鏡台作りや、山口県の大内塗り、会津若松の漆工芸など、各地の伝統技術が基礎となっています。
美しい塗りを作り出す繊細な技が、書きやすく消しやすい黒板の品質を支えているといえるでしょう。
まさに伝統工芸の粋が、教室の黒板に息づいているのです。
仏壇・家具・提灯職人の技術活用
塗装業者だけでなく、仏壇や家具を作る職人が黒板屋になったケースも珍しくありません。
たとえば広島県の仏壇産地では、仏壇製造で培った「塗り」の腕を見込まれ、黒板の製造を依頼されたのが始まりという事例があります。
また、非常に興味深いのが提灯(ちょうちん)職人の技術を応用した例です。
「八女提灯」の絵付けに使われる高級な刷毛(ハケ)を、家具職人が黒板塗装に取り入れたという話も残っています。
このような職人たちの柔軟な発想により、異なる分野の道具や技術が融合することで、今の黒板産業が形作られてきました。
学校の先生による創業
職人出身者が多い一方で、元学校教師が創業したという異色の経歴を持つメーカーも存在します。
これは主に戦後の復興期に見られるケースで、自らの教育経験から「子供たちのために良質な黒板が必要だ」と痛感し、製造に乗り出したのがきっかけです。
また、当時の若者たちの雇用を促進したいという社会貢献の側面もありました。
教育現場を熟知している先生だからこそ、使う人の立場に立った使いやすい黒板を追求できたのかもしれません。
教育への情熱が、モノづくりへとつながった素晴らしい事例です。
現場の声が直接製品に反映された形といえます。
その他のユニークな前職
ここまでに挙げた以外にも、驚くような前職を持つ人々が黒板産業を支えてきました。
たとえば、貯蓄の大切さを説くために小黒板を持ち歩いていた元郵便局員や、「戦後は教育の時代だ」と着目した元軍師など、その背景は実にユニークです。
どのような経歴であれ、共通しているのは「より良い教育環境を作りたい」という想いではないでしょうか。
日本の伝統的な「職人技術」と、戦後の復興を支えようとした「熱意」。
この二つが掛け合わさることで、現在の黒板文化が築かれてきたのです。
黒板がもたらした教育の進化

黒板という「板」が教室に置かれたことは、単なる設備の追加ではありませんでした。
それは教育の方法そのものを根本から変える、大きな転換点だったのです。
ここからは、黒板がもたらした教育の変化について解説します。
教師中心から「みんなで学ぶ」授業へ
黒板が登場する以前の教育は、教師が生徒一人ひとりに個別に教えるスタイルが一般的でした。
しかし、黒板が教室の前方に置かれたことで、教育の光景は一変します。
教師が黒板に書く「共通の情報」を、クラス全員で同時に見て学ぶことが可能になったのです。
これにより、生徒たちは同じテーマについて一緒に考え、理解を深めることができるようになりました。
黒板は、個別の指導から集団での学習へと教育スタイルをシフトさせ、効率的かつ一体感のある授業を実現する立役者となったのです。
黒板は集団教育を支えた“最初のICTツール”
現代の教室ではプロジェクターやタブレットが普及していますが、黒板はその先駆けとも言える存在です。
電力も複雑なソフトウェアも使いませんが、情報を多くの人と瞬時に共有できるという意味で、黒板は教育における「最初の優れた情報通信技術(ICT)」だったと言えるでしょう。
教師の頭の中にある知識や図解が、黒板を通じてリアルタイムに可視化されます。
生徒はそのプロセスを目の当たりにし、思考の流れを追体験できます。
シンプルでありながら、情報の伝達と共有を強力にサポートする黒板は、集団教育を支える最強のプラットフォームとして機能してきました。
黒板文化が育んだ“書いて伝える”習慣
黒板を使った授業は、教師と生徒の双方に「書いて伝える・理解する」という重要な習慣を根付かせました。
教師にとって板書とは、情報を整理し、要点を分かりやすく伝えるプレゼンテーション技術そのものです。
一方、生徒にとって板書をノートに書き写す行為は、単なる作業ではありません。
手を動かして文字を書くことで、情報を整理し、記憶への定着を促す効果があります。
現代のデジタル機器では省略されがちなこのプロセスこそが、深い学びと集中力を育む土壌となってきたのです。
まとめ
黒板はフランスで生まれ、日本で独自の進化を遂げた「伝えるための道具」です。
素材が石からスチールへと変わり、電子機器が登場した今もその役割は変わりません。
デジタルにはない温かみや、書くことで深まる思考の時間は、現代教育においてもかけがえのない価値を持ち続けています。
黒板はこれからも、教室の風景の一部として、私たちの学びを支え続けてくれるでしょう。
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