こんにちは。ライターの清水です。
先日から会社の歴史を紐解く内容を書いています。
今や北海道唯一の黒板屋さんとなった札幌教材製作所は元々、親族がやっていた木工会社廃業に伴い、そこの職人を受け入れての、言わば「リスタート」として始まった会社でした。
自動車ディーラーでの勤務を続けながら、札幌教材を創業した初代社長。工場の切り盛りよりも資金繰りを担当し、自宅を抵当に入れ、親戚に手形を割ってもらい、苦労しながらも軌道に乗せて行きました。
この経歴からも敏腕社長だったのがわかるかと思いますが、嫌いなものがありました。それは『組合』。
30年前には札幌に黒板屋さんが(上田社長の記憶では)12社ほどあり、2つあった組合のどちらかに属していました。
初代社長は初めから組合というものが嫌いだった為、当時の札幌教材は木工関係の組合には加盟していませんでしたが、黒板の組合には加盟していたそうです。
この「組合」という存在が、北海道の黒板業界を蝕んでいきます。
簡単に説明してしまえば、足の引っ張り合いです。
表向きの顔では、みんなで共同受注、施工を分け合いましょうと笑顔で取り決め、裏では「自分さえ良ければ」の考えで、必要以上の価格競争になってしまい、結果利益を確保できず共倒れしてしまったそうです。
札幌教材はその頃『工事用黒板』の生産を始めており、学校黒板だけではなかったため共倒れすることはなく、それこそが生き残った一つ要因でした。
助け合いの心を教わる学校の黒板を作っている人たちが・・・なんだか悲しくなってしまいますね。
会社が50年続くということは、何度も何度も経営危機を乗り越えてきたのだと思います。
今回の話以外にも、創業当時は資金のやりくりに苦労したり、仕入れ先から木材の供給が止まったり、他にも既に覚えている人がいないくらいの大波小波の経営危機が多数あったことでしょう。
この度札幌教材は新社屋を建てます。
銀行からお金を借りるわけですが、49年の社歴が銀行から信用される一つの要素になったそうです。
創業当時を支えてくれた上田社長の叔母様から最近届いたメッセージを拝見させていただきました。上田社長が新聞社の取材を受けた記事を読み、それで移転を知ったということです。
とても暖かい文面で、上田社長への激励のメッセージでした。
それ以外にもまだ創業当時を支えた職人さんが何名かお元気にされていらっしゃるそうです。
上田社長が2代目に就任してからも危機は何度もありました。
自身が会社の存続を諦めようとしたところ、社員からの言葉で思い止まったこともあります。
会社のことを考える時、過去の歴史が頭をよぎりませんか?時いた時、思い浮かぶのは今一緒に働いている社員さんのことだけとキッパリと仰っていました。
新天地で紡がれる新しい歴史。これからも末長く続いてほしいなと思います。
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