札幌教材の歴史①

こんにちは。ライターの清水です。

先日札幌教材では工場移設のための地鎮祭が行われたそうです。
詳しくは中西さんのブログをどうぞ

いよいよ現実的に動き出した札幌教材の移設ですが、会社の歴史は建物の歴史。
移設は創業49年目、2代目社長での思い切った決断でしたが、上田社長が「自分がこのタイミングでやることになるとは…」と何か宿命めいたものを感じているとの発言をしていました。

少しだけ札幌教材の歴史のお話を伺うことができましたので、よければお付き合い下さい。

まだ札幌市になる前、「手稲町」だった場所に今の札幌教材製作所は誕生しました。

創業社長は現社長のお父様ですが「上田」という姓は(上田社長から見た)母方に当たります。自身の苗字でイジメにあったいう嫌な記憶があり、お父様はそちらの姓を名乗っていたそうです。

札幌教材製作所には前身になった会社があります。
それは上田親族で切り盛りをしていた会社で、職人が多数在籍していた
「木工屋」でした。

お父様は元々北海道日産に勤めていましたが、結婚を機にそちらの会社へ入社します。ですが、やはり車を扱う仕事が好きだったようで、木工屋を退職し北海道日産へ戻ってしまったという経緯があったそうです。

その後、何が悪かったのか原因はわかりませんが、木工屋として立ち行かなくなってきて、そこの職人さん引き取る形で「札幌教材製作所」はスタートしました。

お父様は会社を立ち上げはしましたが、北海道日産には籍を置いたまま。今でいう副業という立ち位置での創業。
現在はだいぶん認められてきましたが、同時の副業はサラリーマンにはご法度。それはご法度が認められるぐらい、北海道日産で業績を残していた証で
もあります。

このようにして、内田洋行という事務用品メーカーの下請けとして黒板や学童机や木工家具を作っていたので会社名に『教材』を入れ、木工屋として札幌教材製作所の歴史はスタートを切ります。

社長は職人ではなく、車のトップセースルマン。
立場が違えば見える世界も違うと思います。

お父様が会社を切り盛り(経理)するようになり、会社は年々業績を伸ばしていき、社屋も増築を繰り返していました。

ですが、いつしか時代の流れで「木工」は国内産から海外産に押されるように。
そして黒板業界も…。

逆風が吹いてきた札幌教材の歴史は次回に続きます。

 

 

 

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